戦争と貧困

1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます
One child, one teacher, one book, one pen can change the world

コレはノーベル平和賞受賞後に国連本部でマララユスフザイ氏がスピーチされた内容の1部です。

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知識というのは人の頭と心を豊かにするものだと僕は思います、何故なら知識があればその場その場に合わせた対応が出来、しっかりとした判断も出来ますし勿論のこと善悪の判断も出来ます。

 しかし、知識が無ければどうでしょうか?その場に合わせた対応やしっかりとした判断が取れず、単純な力というモノで物事を進めてしまい兼ねません。

だからこそ、最低限の知識は必ず必要な生きていくためのツールだと僕はおもいます。

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ここからが本題。

貧困と戦争や紛争は切っても切り離せない物事だと自分は思っています。

例えばこの世界に自分ともう1人、その2人だけしか居ないと定義します。自分の財布の中にはお金が全然なくて、もう1人の財布の中にはパンパンにお金が詰まっていたとしたら、何がなんでも奪い取りたくなってしまいませんか?でも、奪い取ったら奪い取ったでもう1人の方は自分のお金を何がなんでも取り返そうしますよね??

要は戦争や紛争というものはソレと全く同じなのです、自分の国は貧困だから少し裕福な違う国を攻撃してその国の利益を奪い取ろうとする、そして攻撃された国は取り返そうとその貧困な国へ攻撃を仕掛ける。ソレが激化して行くことで戦争や紛争が産まれてしまう。

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でも戦争や紛争をして、幸せになった国や人は居ましたか?僕は全くいないと思います、ただお偉いさん同士の喧嘩で、その国の何の罪もない子供や青年、老人に女性が傷付けられて死んでいく、そして戦争や紛争が終わってみればソコには焼け野原になった地面と亡くなった人の亡骸が転がる、そして双方の国の財政状況は悪くなる一方。そんな状態は誰がどうみたって幸せなんて思えません。

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じゃあどうやったら戦争や紛争を無くすことが出来るのか、ソレは正しい知識としっかりとした感情を持つことだと思います。

その国のお偉いさんが正しいお金の回し方を知り、国の上層部だけが良い思いをしたいと言う感情を持つのは間違いなのだとしっかり心に刻めば貧困は無くなるのでは?と思います。

ソレと、国民ひとりひとりの意識も物凄く大切だと思います。戦争という方法を取るのは間違ってるんだ、しっかりとした政治をしてくれお偉いさん。そう思って呼び掛ければしっかり貧困から脱却出来ると思います。

でも物凄く難しいことだと思います、未だに戦争や紛争は続いていて数秒に1人が貧困でこの世を去っている、そんな世の中です。

でもそれを変えれるのはやはり人の意志なのです、戦争や紛争が起こっている国、貧困な国……だけじゃなく自分達、この世界全体のひとりひとりが呼び掛け、しっかりとした政治をして戦争や紛争を無くして行こうと言う意志を持って生きて行くことが第1歩になります。

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自分達が1日3食のご飯をおなかいっぱい食べられる事、学校に行って勉強ができること、好きな事ややりたい事に没頭出来ること、友達や親や先生と話せること、お菓子を食べてジュースが飲めること、曲が聞けること歌えること、そんな『当たり前』が『当たり前』では無い人達が居ること、ソレを自分たちは理解して生きていかなければならない、そんな人達がいつか『当たり前』を『当たり前』に生きていける世界が出来上がることを祈り、ここに筆を起きたいと思います。

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ここまで長らくお付き合い頂きありがとうございます、人や世界は変われるものだと僕は信じています。あとはこの文を読んだ貴方がどう思うか次第です!文達ではないので所々たどたどしい文章ではありますが、ご了承頂ければと思います。

LGBT等について

Paper1
␣先ず大前提として自分(著者)は性的マイノリティの中の1つ”バイセクシュアル”だと言う事を知ってもらった上でこの話を読んで欲しい。

␣自分がして来た経験談、つまりは自分語りと言うものをしよう。自分は高校1年の時に親や教師に内緒でとある画塾の資材調達係のバイトをしていた、理由は単に遊ぶ金が欲しかったからだ。
資材調達係、と言うのは画材屋から画材を調達する事と各教室で足りなくなった材料をそれら(調達した画材)がしまってある倉庫から補充する事を名目とした仕事だ。当然そんな仕事だから様々な教室に出入りするわけである。ある日、自分はいつもの様に仕事をしており教室に出入りしていた、そんな中自分が入った教室の中に居る生徒の中に少し気になる子が居た、髪は少し長めでサラッとしていて容姿も綺麗だった。その時の自分の内心は「へぇ、綺麗な”女の子”だな。」だった
␣ソレから数日が経ち、仕事に慣れ卒無くこなせるようになっていた。画塾の授業が終わり生徒達は帰り、教室には居残りや自習の生徒がぽつぽつ居るくらい(夕方だったかな?)の時間に自分はまた材料補充の仕事をしに画材を持って教室に入った。その時、その教室に残っていたのは自分が前に気になっていた子と作業していた僕の2人だけだった、気まづい空気感が嫌いだった自分は少し勇気をだしてその子に話しかけてみた、最初は挨拶から始まりそこから他愛もない会話を続けていた、そして話題が恋愛の方へと向いた(まぁ、お互いに思春期だろうからそのくらいの歳になると気になる話題ではある)、自分が「最近恋愛とかどうなの?」と聞くとその子は「ずっと好きだった子が居て告白したんだけど「女みたいな見た目してるのはちょっと無理だわ〜」って言われて振られた……」と言った、自分はその話を聞いて「(あぁ、この子”女の子”じゃないんだ。)」と知った。その時自分は「へぇー、そりゃあキツイなー。」と返した。そしてその子が「逆に(僕の名前)さんはどうなんですか?」と聞いてきた、僕は「うーん、ちょっと気になってる子なら居るよ〜。」と答えた、それに対しその子は「ほー、なんて人なの。名前だけでも教えてよ〜」と言ってきて、正直自分は少し小っ恥ずかしくなって居た…でもこの際だし言ってしまおうと思い少し間を空けて「実は、君なんだよ。」と答えた、そしたらその子は少し照れながら「そ、そうなんだ……へー。」とレスポンスを返した。そこから少し気まづい空間が出来ていた、ほんの少しだけ時間がたちチャイムが鳴った、その塾の完全下校チャイムみたいなものだ。少し気まづさを抱えたまま自分もその子も教室から出て勿論のことその子は家に帰った。
ソレから数日が経ち、その子とその塾の受付カウンター前で会ったのだ。そしてその時その子から自分に話しかけて来て「あの時の話って、本気なんですか?」と自分に聞いて来た、僕は「本気だよ」とだけ答えた、そうするとその子は「実は……………自分、”バイセクシュアル”なんです」と返し、続けて「(僕の本名)さんが好きなのなら、付き合います」と言ってくれた。彼なりに僕が言った事を深く考えてくれてそして至った答えなんだろうなと思った、自分は「ありがとう……宜しく、お願い。」と答え、自分とその子は付き合う事になった。そこから4,5ヶ月が経って、お互いの思いの違いや価値観の違いが出て来て、それが理由で別れてしまった…が今は友達として仲良くやっている。
と言うのが自分の経験談、というか前置きである。(余り作文が上手くない故、たどたどしい文になっているのはご愛嬌ということで。)

␣ここからが本題␣
性的マイノリティというものについて自分なりに考えてみた。男性が女性を愛す(もしくはその逆)、男性の身体には男性の心、女性の身体には女性の心、コレが俗に言う”普通”の人間。そしてLGBT……所謂男性が男性を愛す、女性が女性を愛す、身体は男性なんだけど心が女性、身体は女性なんだけど心が男性、コレが”性的マイノリティ”の人。
じゃあその”普通”の基準って何?日本という国は男性と女性が結婚し子供が出来るというローテーションが深く根強く刻まれた文化を持った国であると言える、なので必然的にそれに合わせた政治的政策や思考(施行)が成される訳だ。
個人的な意見としてはこう言った日本の文化は人の恋愛というものに対する自由や価値観を縛っていると思う、それと同時に男女が結婚しその結果産まれた子供を利益を生むことの出来る因子と見ているとも思える、そりゃあ子供が大人になって働けば国の経済を回すための駒のひとつになる、しかし同性同士では利益を回す駒である子供が出来ないことは周知の事実だ。だから男女間の結婚のみを許可する、ソレはあって当然の価値観だと思うし自分が政治家なら多分そうしていると思う。
だが、感情やモラル,愛の自由と言う面でみたらどうなるのか。当然そんな考え方や政治的政策,思考は許されないし排斥されるモノの対象となる、これもあって当然の感情だし価値観である。
だがしかし、この国では前者の男女間の結婚のみを許可すると言う政策が深く染み付いてしまっている。
じゃあどうすればいいのか。ソレは自分の価値観にもっと余裕を持たせることで解消されると思う、個々各々の”普通”という価値観の中にLGBTやソレに関連した生き方をしているも居るのだと言う考え方をプラスすれば多種多様な考え方や生き方が自信を持って出来るはずだ、受け容れるまで時間はかかるかもしれない、でも受け容れるその気持ちが大切なのである。
各国の政治の変化について。最近では様々な国がLGBTに対して深く考え、受け容れている。現在25カ国が認めており最近ではフィンランドやドイツでも認められるようになった。着々と”価値観の余裕”を持てる国が増えていっている!

␣最後に__私達がすべき事␣
まずは上記でも言ったように自分の価値観と心に余裕を持つ事が大切である、そして性的マイノリティやその関連の生き方をしている人を見た時に排斥から入るのではなく受け容れる事から入る事も大切。いつかマイノリティではなくそういう生き方も”普通”なんだと思える文化になるように、今は個々各々が価値観に余裕を持っていこう!

(文達では無いため、少々文法がおかしかったりしますがご了承ください)
※あくまでも個人的な意見や価値観です、全てがここに書いてある通りとは限りません。その点もご了承ください。

長々とここまで読んで頂きありがとうございます。